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那覇歴史博物館より写真提供
那覇歴史博物館より写真提供
那覇歴史博物館より写真提供
那覇歴史博物館より写真提供

​1900年 琉球で。

1900年頃 沖縄では帽子編みが盛んで輸出もされていました。
その頃3万人を超える編み手と9万人の従事者がいて輸出をしていた大きな産業でしたが帽子編みは文化として継承されることはなく様々な要因により衰退しました。

当時の編み手が高齢化し技術の消滅していくなか (在伊江島 東江ふくさん 中原美代さん 知念梅さん)が昔仕事と
して編んでいたおばあちゃんたちから聞き取りをし楽しみとして編んでいて、それをみた本部在住の魚類研究者だった
加藤和子さんが”ボーシクマー”という本を2001年に50冊 自費出版をして残してくれたことにより当時の様子を
知ることができる資料として琉球パナマ アダンの帽子編みの存在がかろうじて残りました

私が会いに行ったとき おばあちゃんたちはすでに100歳前後で編むことはもうしていなかったけど昔の話をたくさんしてくれました
帽子編みを次世代へつなごうとしてくれた沖縄本島の本部在住の加藤和子さんと伊江島の中原美代さんに帽子が復活したことお伝えしました(美代さん梅さんは100歳を超えても健在で、当時のことを色々教えて下さいました)
復活したことをとても喜んでくれました


私がアダンの帽子編みを知り 
勉強を始めたのが1990年頃のこと
まだインターネットもなく情報もなく何もかもが手探りでした
名護博物館の比嘉さんや海洋博記念公園(美ら島財団)の西銘さんなどが下さった情報や資料をもとに試行錯誤を重ねました 

試行錯誤を重ね数十年近く
まだまだ私も発展中 修行中でもありながら希望する人に技術伝達して15年以上経ち編む人も増えてきました

今後ますます広がり
沖縄の高級な手仕事として認知されてほしい、とおもってます


消えかけた琉球パナマ帽を復活することで昔の編み手だった人たちに敬意を表し
現代に通用するモノを創造することで未来への知的遺産とするのが矜持です
沖縄の昔から続く風景
2015 本部にて

加藤和子さんと従姉妹の清水節子さん

         2015 本部にて

2015 本部にて
加藤和子さんが作成した編み方を記した本

加藤和子さんが作成した編み方を記した本

2015 宜野湾にて
2015 宜野湾にて

伊江島の中原美代さんと長女の倉下正子さん 

      2015 宜野湾にて
 

那覇歴史博物館より写真提供
那覇歴史博物館より写真提供
那覇歴史博物館より写真提供

​那覇歴史博物館より写真提供

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