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​協会では

夏だけ会えるアジサシ

​Finding our way

​シェア

環太平洋のどの島でも行われているアダン編みを100年後の未来への知的遺産として残すために
より良くエシカルであると思われる道を選び
​次世代へつながる新しい伝統技術として残すための努力を楽しみましょう

大切な技術とそれを守り伝える気持ちこそが環境資源であり価値あるものになります
​海と風が運んできた奇跡をみんなでシェアしましょう

 

​利他

海に投げた小さな小石は
誰かの心に波紋となり

やがていい波となって

届くでしょう

利己の波は遠くまでは

届きません

利他でありましょう
ともに編む人全員が

利他であれば

自分を仲間が

支えるでしょう

一人が自分でがんばるより
一人をみんなで

支えあうほうが楽です


海には境目も

仕切りも区切りもなく

つながっている
それぞれの小さな

違いにとらわれることなく

共通点を探して

互いを認めていくほうが

たのしいのです
 

​たのしむ

ともに編む者同士は

仲間でありチームです
スタックしたものがいれば

スタックしていないものが

待ち

助け合い支えあいましょう

ともに編むこと

未来への贈り物を

作る時間を

楽しんでいきましょう

アダン編みを通して

トモダチと仲間と
メローでレイドバックな

時間を生きて

いきましょう


 

材料のアダンの葉
ハワイのミュージアム
先人たち

​Navigating

これらのことは
オアフでハワイ編みの最初の先生アンティローナが。
何年も教えてくれたアンティキャロラインが。
マウロアの帆を一緒に編んだクムマウリリが、
キャロルがおやつ食べながら
ホクレアのオノヒが
何年もかけてアロハスピリッツとして伝えてくれた言葉の中から

わたしが感じとったことです

葉っぱをもらう木はお掃除しましょう
私たちが葉を採りに行くことで木がより健全に育つことができ
環境がよくなり 葉っぱをもらうことを歓迎されるようにね

 
緑の葉を採るのは殺生だから 乾いたのを採ろうね などなど

沖縄で帽子編みの労働をしていたおばあちゃんたちが
第2世代である伊江島のおばちゃんたちに帽子編みを教えたとき
自分たちが亡くなる前に
教えておかなければ帽子編みがなくなるから

と言ったとききました
おばあちゃんたちは当時 人に教えないとしていたしきたりが
消失を招くと感じていたのです

門外不出として技術を守ろうとする人たちがいる一方で
伝えなければ残らないと考える人がいるのです

その考えと信念が海を渡り太平洋で文化や情報を伝えあったからこそ
今も環太平洋の離れた島同士に共通の認識や技術があるのだと

海がすべてをつないだのだと私は考えています

マウがそうであったように。

海に端っこがあり世界は平面だと考えられていた時代ならともかく
地球は丸くて世界のどこともネットでつながるいま

クローズした利己の考えはナンセンスで

いかにエシカルに未来のためのことを楽しんでオープンでいくか

創造で未来への知的遺産をよりよく残す、というのが私の挑戦です


 

お伝えしたいことはまだまだあります
お会いする機会がある人には常々こんなようなことを直接お話ししています
そこで かいつまんだほんのさわりとして

​この気持ちがわたしのこの協会の活動ベースにいつもあることを

お伝えしておきます



 

仲間たち
マスコットのハナちゃん
私達はどこに進むのか

​Follow the Call

みんなと一緒に編むとき
私が時々口にしているので聞いたことがある人も多いかとおもいます


焦らないこと
仕上がりを急いで手を抜かないこと

ホットケーキや目玉焼きなら

少々焦げちゃっても食べちゃえば証拠隠滅で後に残らないけど
編んでいるとき 編む準備をしているとき
早く編みたくて 急いだりして
少々気になるところがあったとしても目をつぶりごまかしたいとき

思い出してね

作品はあとに残る 何年たっても

自分が見れば手を抜いたことを思い出すし

気が付くでしょう

 

だから

あえて、より 丁寧に わざと時間をかけて

編むことも、その前の葉っぱ選びも。

さらにその前の葉っぱを作るときにも

誰にも知られない部分であるけど

自分は知ってる。

 

どんなに手をかけたか どんなに手抜きをしたか。


人からは見えなくてもベストを尽くすことが自分への矜持であります

最高に手をかけているからこそ 誰に対しても

自分に対しても自信をもっていられるのですよー

と折々言ってますよね


これはみんなにも言ってるけど

私自身が自分にも言っている言葉でもあります。

 

作品を作るとき妥協せず

丁寧に、これでもかっていうくらい丁寧にね。


”シェイパーズツリーの話”

アメリカの雑誌SURFERが2006年に

シェイパーズツリーというシェイパーの家系図を載せています
なんのことか見当つかない人がいるかと思うけどね
私の話の中でちょいちょい海のことや風のことが出てくるのは

私が海にいる人だからなのです


シェイパーというのはサーフボードを削る人たちのことです

最初のレジェンド ジョージから今につながるボードシェイパーの師弟関係 

家系図をシェイパーズツリーと言います

わたしは、アダン編みについてもウィーバーズツリーが既に存在し
その木はもうある程度大きく育ってきているとイメージしています

シェイパーズツリーとは少し形が違い
私はその木のてっぺんではなく

ウィーバーズツリーの根っこの一番下

地面の中に根を張っていて 土の上には見えないものと

私自身のことをとらえています

私が根を張り 地面から、世界のあちこちから 海の向こうから
たくさんの栄養と知識を吸収し幹に送り

幹が枝葉に栄養を送ることで

 幹からはたくさんの枝が出て葉が出て
いろいろな色の花が咲き

いろんな実がなり 遠くまで枝葉を伸ばし 

広がっていると考えています

ウーバーズツリーは

いろいろな花が咲いています 
黄色や赤 七色や白
実もいろんなのがなっています

その花や実が一緒に編んでいるみんなであり

幹が洋子ちゃんいずみちゃんハルであると考えています



実の中にはタネがあり 遠くまで飛んで
ウィーバーズツリーから離れたところで芽を出し
自分の木として育っていくタイプの花もあって
それはそれぞれ どこへ広がろうとも
マザーツリーのウィーバーズツリーあってこそことだと考えています

いろんな花が満開に咲き誇り
良い香りがして
ずっとどこまで大きく広がっていく木が

ウィーバーズツリーなのです



100年後 
ウィーバーズツリーが海の遠くまで見える

大木となっているのが目に浮かびます

一緒に編んでくれてありがとう

​これからもともに楽しみましょう​​​​​


Powered by Passion

”なんくるみー”

 

たんぽぽのわたげが。ふわーっと飛んできて

音もなく地面に下りて芽を出す

かのように

アダンを編むということがいつのまにかどこかから心におりてきて

あるいは 誰かの作品を目にするきっかけがあり急に惹かれて

 

ともかく

私たちの心の中にどこかからやってきたアダンを編む

ということが根を張り芽を出していると思います

鳥が木になっているパパイヤや木の実を食べて
どこかでフンをして

そこからまた木が生えてくることを

沖縄では”なんくるみー”といいます

勝手にどこかから来て勝手に育っている野生の植物のことです
ひいては、私たちのように
ゆかりなくつながりなく沖縄に暮らしているのも

なんくるみー なのかも


アダン編みについて親などから教わった人は一人もいません
一度は途切れた技術であり、いま編んでいる人たち誰しもが

心に芽生えた何かの呼び声に従って
なんくるみーのアダン編みをしているのです

なんくるみーのタネが遠くまで飛んで

また誰かの心になんくるみーとして芽を出す

こんな面白いことは滅多にないよね。


アダン編みはなんくるみーであり
また

パンノキのように
地上部だけをみると別々の木にみえても
(パンは広がった根っこからまた芽が出て

新しいパンノキとして育ち広がり分布していきます)
地面の下で根っこ同士がつながっていると思います



いま 私たちと関連なく あったこともなくアダン編みをしている人たちも

私たちのスタートなくしては

存在していなません

わたしとみんなの木はそれぞれ見えないことろで

地面の下で根っこ同士がつながっていると思います

互いに会ったこともないアダン編み同士

別々の木として育ち咲いているように見えて

実は地面の中の根っこ同士が関連していることは

みんな気が付いてなかったでしょう

 

​アダン編みはそんな感じのものじゃないかな
 

What it brings

 

“編みがもたらすもの”​


編むことがもたらすもの。
編むこと自体が楽しく だから編んでいるの
編むことの中から学んでいくいろいろなことが

時に面倒だったり 時におもしろかったり発見だったり

編んでいる中から私たちが知るいろいろなこと

技術だったり他の地域の編み方だったり

自分自身の気持ちの中のことだったり。


そんなに手をかけなくてもいいのに

見えないことろなのにあえて手間をかけて編む自分

あるいは ごまかせそうだからこのままあんじゃえ と思う自分

編んでいく中でいろいろなことをおもう

と感じることがあるでしょう

編むこと自体が自分にもたらす

レイドバッグなきもちは

日常にも影響していると感じませんか

編む目的は

誰かにあげようとか 販売しようとか

様々でしょう

編むことが楽しく

さらにそれが生活の足しになるなら いいことです

そういう人が増えたらいいなと思っています

私の場合は

編むこと自体が楽しく

勉強すること自体がおもしろく
あみあがった作品は

”おまけ”のようなものなのです

私が普段被っている帽子は

布製の、おそらく30年以上っている
繕いだらけの帽子です

アダンで帽子を編むのは。

帽子以外のものを編むのは

編むことそのものが楽しいからなのです

編みが織りなしたものは
帽子や作品だけでなく

仲間や友達や出会いを紡いだことが

私にとって

みんなにとって

勇気と力とハッピーをもたらしていて

それが未来へもつながる糸となりますように

​とおもっております
 

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